『星の子』を観た感想とレビュー、考察まとめ。ネタバレあり。

芦田愛菜主演の「星の子」を鑑賞した感想、

印象に残ったシーン、言葉、

レビューをまとめました!

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『星の子』のあらすじ

乳幼児の頃、皮膚疾患にかかったちーちゃん(芦田愛菜)

ひどくなる一方だった皮膚疾患が、

ある宗教団体が販売する水で治っことをきっかけに、

宗教にハマっていく両親。

その後も両親はどっぷり宗教に心酔し、

家は宗教グッズに侵食され、経済的に貧しくなっていく。

そんな両親に反発する姉まーちゃんと、

両親が普通だと思っている妹ちーちゃん

でも、そんなちーちゃんも、

両親が宗教にハマるあまり親族に心配されたり、

両親が変質者と誤解されたりするうちに、

自分の両親が普通でないことに気が付いていく。

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『星の子』の予告

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『星の子』の感想・ネタバレあり

本当にいそうな人たち

怪しげな原田知世と永瀬正敏夫婦が、

本当にこういう人たちいそうと思わせる位自然で、

緑のジャージと白タオルが違和感なく、馴染んでいました。

宗教について否定さえされなければ、柔和な夫婦なのに、

否定しようとする人には、刃を向ける。

子どもたちを助けようとするおじさんに対して異常に歯向かう姿が、

この夫婦の絆の強さと信仰心を表していて、

もうこの夫婦の考えが変わることはないんだろうなと哀れに見えたり。

でも、二人は今の生活に何の疑問も持ってないし、

子どもへの愛は歪んではいるものの一途だし、

二人にとっては今が幸せで、失いたくないものなんだと思いました。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。

周りの親族やまーちゃんは、そう感じていたはず。

悩みを抱えた両親は、宗教に救われたと同時に、

裏を返せば、漬け込まれたわけで。

幸せなようで幸せでない。

自分たち夫婦のことだけでなく、

そこに巻き込まれる子どもの立場も考えてあげてほしかった。

でも、それを考えてあげられる両親なら、

とっくに宗教を抜け出してるわけで、

宗教が生きる支えとなっている両親にとっては、

宗教と引き離そうとする人は敵なんだなと感じました。

宗教の集会の中では普通

風変わりな両親ではあるが、宗教の集会では、

周囲に挨拶をし礼儀正しく振舞う社会性を見せており、

普通の大人という感じ。

宗教二世の子供たちは、同じ境遇のためか仲が良く、

宗教団体のスタッフとも気さくに会話をするし、

集会を楽しんでいる様子

はたから見ると、怪しい集団に思ってしまうが、

彼らの中では、この世界が慣れ親しんだ普通の世界なのだろうか。

普通って何だろうと改めて思ってしまう。

終わり方が謎

最後は、ちーちゃんと両親が寒空の下、

三人で星を眺めるシーンで終了。

え!これで終わり??というのが正直な感想で、

何が言いたかったのか、何のための映像化だったのか、

観終わった瞬間は理解できませんでした。

映画にする意義がつかめず、戸惑ったというのが正直な感想です。

何が言いたかったのか

何を伝えたくて映画化したのかよくわかなかったというのが第一印象。

でも、あえてこの映画で言いたかったことを探すのであれば、

世の中には、こういう家庭があって、こういう子どもがいるんですよっ

というメッセージなのかなと、私は受け取りました。

どの家庭にも家庭ごとのルールや軸、方針が存在するわけで、

それがはたから見たら変ということはあり得る。

この家庭では、たまたまそれが宗教だった。

家の外で、緑のお揃いのジャージを着て、

頭に白いタオルを乗せ、

「金星のめぐみ」という水をかける両親。

はたから見たら奇妙でしかないが、

両親にとっては大切な儀式

両親は、ちーちゃんの修学旅行代を出すお金はないが、

宗教の集会に行ったり、「金星のめぐみ」をストックするお金はある。

親の身勝手さと異常さへの怒りと

子どもが不憫で仕方ありませんでした。

姉のまーちゃんは家出をして帰ってこないという行動に出る一方、

ちーちゃんは親がおかしいと気づきながらも親を受け入れているような態度で、

親族のおじさん(修学旅行代を払ってくれた人)が助け舟を出しても、乗ろうとしない。

そもそも、両親が宗教にハマったきっかけが、ちーちゃんの病気だったので、

それで後ろめたかったのか、両親を放っておけなかったのかわからない。

中学生だからまだ行動に移せないだけなのかもしれない。

でも最後のシーンでは、この異常な日常が淡々と続いていくように思えて、

ちーちゃんはこうして大人になっていくのね、と残念にしか思えなかった。

子供の頃から見てきた光景が普通だと感じることは自然なことだし、

今まで信じてきたものが違うと言われても簡単には信じられない。

ただやはり、もし自分の姪っ子がこういう生活を強いられていた場合、

助けたいというおじさんの気持ちはわかるし、

違う世界があることをわかってほしいと願わずにはいられない。

切ないのは、

両親は子どもたちの幸せを願っているし、

おじさんも姪っ子の幸せを願ってる

そして、子どもたちも親の幸せを願ってる

でも、みんな違う方向を向いていて、

同じ幸せじゃないんですよね。

両親二人は同じ方向を向いているので、

幸せそうですけどね。

それぞれが自分の信じるものがあって、

同じ事象にもそれぞれの見方があって、

人は、信じたいものを信じるし、

信じたくないものは信じない生き物
なんだと改めて思った映画でした。

芦田愛菜だから最後まで観れた

結局これに尽きるのだけれど、

芦田愛菜ちゃんと岡田将生君だから最後まで観れました。

愛菜ちゃんの鬱々とした表情。

岡田君の整った顔立ちに眼福。

芦田愛菜ちゃんの両親思いのいい子

岡田君のイケメンだけどぶっ飛んだ教師が、

真反対すぎて、それが面白かったです。

芦田愛菜ちゃんの親友役の子(新音)もよかったですね。

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『星の子』はだれに刺さるのか

私自身は、お墓参りはお寺で、

クリスマスや結婚式はにわかキリスト教で、

お正月は神社、

困った時は神頼み(何の神様?)。

外国人から見たらそれこそ異常で意味不明、

でも日本ではありがちな無宗教だと思います。

だからなのか、この映画を観ても、

こういう世界もあるのね、と他人事だったのですが、

産まれたときから、あるいは物心ついたときから宗教が身近にあった宗教二世の人には、

ちーちゃんの葛藤が、自分のことのようにわかる映画なのだと思う。

その立場の人が見たら、

わかるわかるとなるし、

胸が苦しくなったりするのかもしれないと思います。

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『星の子』のタイトルの意味

なぜ「星の子」?

はっきりした答えはわかりませんが、

両親が入信している宗教団体名が「ひかりの星」で、

宗教団体で販売している奇跡のお水が「金星のめぐみ」から考えると、

宗教にハマった両親の子という意味なのかもしれません。

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『星の子』の印象に残ったシーン

芦田愛菜1

南先生(岡田将生)に、自分の両親を不審者と勘違いされたときのちーちゃんの表情。

涙があふれ、こらえるのが精一杯の顔。

その後、泣きながら街中を走るシーンが印象的でした。

芦田愛菜2

南先生(岡田将生)が、ちーちゃんに怒りをぶつけたときの、

ちーちゃんの怯えた、この世の終わりのような表情。

原田知世

最後の星空の下で、まーちゃんが子どもを産んだという話が出てきて、

お母さんが「よかったねうれしいね」というシーン。

まーちゃんの幸せを喜ぶのはいいんだけど、

娘が家出して、数年後に子どもを出産した状況を考えたら、

単純に喜べる話ではないのではと、心の中でツッコミました。

このお母さん、やっぱりおかしいと思った強烈なシーンでした。

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『星の子』の印象に残った言葉

一見普通そうで怖い黒木華

黒木華さん演じた宗教団体側の人間で、

催眠術が使えるという女性の言葉。

「あなたがここにいるのは、あなたの意思とは関係ないのよ」というようなことを

二回程言っていたと思う。

あなたの意思に関係なく、あなたはもうこの宗教から逃れられないのよという意味なのか、

あなたはあの両親から離れることはできないのよっていう意味なのか。

それとも、あなたは自分の意思で行動していいのよという言葉なのか。

何通りもの解釈ができるシーンでした。

つい本音を言ってしまう岡田将生

南先生が、「インフルエンザが流行ってるので~」という話をしているときに、

いつものように話を聞かずに絵を描いていたちーちゃん。

その態度に、ついにブチギレた南先生が、はなった言葉。

「水で病気が防げたら、誰も苦労しない!両親にも言っとけ!!」

そりゃそうだ、ごもっともです。

言いたいことをガツンと言ってくれた一言でした。

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みんなのレビュー

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まとめ

「星の子」のあらすじ、感想、レビューを見てきましたが、いかがでしたでしょうか。

感動や心温まることはなかったけれど、

「普通」や「信じること」、「幸せ」について、色々考えるきっかけを与えてくれる映画でした。

芦田愛菜ちゃんと岡田将生君を見たい人には、オススメです!

以上『星の子』を観た感想とレビュー、考察まとめ。ネタバレあり。」でした!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!



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